Chekipon BLOG  
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BOW WOW

2007年03月20日22:05:07









今日は1983年の1月11日の『BOW WOW』の京都会館第二ホールのコンサートのお話の巻。

この頃の『BOW WOW』は最も活発な活動をしていた時代だと言えます。

とにかく前年8月に出演したイギリスのレディング・フェスティバルでの成功が大きいでしょう。

レディングの成功で、あの“夜のヒットスタジオ”まで出演したくらいですから。

レディングでの成功を期にイギリスでのライヴも増え、

まさしく日本の『BOW WOW』から世界へと羽ばたく時でした。

そんな余韻をもった時期の京都会館第二ホールでのコンサートですが、

1番前の席に居た私はそんな興奮を始まる前に一気になくしてしまうのです。

開演時間が迫っていても1,000人収容の京都会館第二ホールは

半分くらいしか埋まっていないのです。

結局開演してもその状況は変わらず寂しい雰囲気のままコンサートは始まりました。

高校時代から好きだった『BOW WOW』が初めて見れると言うことで、

コンサートが始まるなり観客が半分と言うことも忘れて盛り上がりました。

当然です、一番前の席ですから視野に入るのは『BOW WOW』のメンバーだけなんですから。

『BOW WOW』も私にとっての青春でした。

今も現役で頑張る『BOW WOW』、機会があればライヴに行ってみたいです。  

Posted by アナログ・キッド

OZZY OSBOURNE

2007年03月19日22:16:56









今日はちょっと月日が戻りますが7月13日の『OZZY OSBOURNE』の初来日公演のお話の巻。

どうしても“オジ-・オズボーン”に関しては今日3月19日と言う日に拘りたかったのです。

今から25年前にあるギタリストが飛行機事故によりこの世を去りました。

そのギタリストとは『OZZY OSBOURNE』バンドの“ランディ・ローズ”です。

“ランディ・ローズ”のデビューは1976年『QUIET RIOT』でした。

同時期に『VAN HALEN』もデビューしており日本では同じくらいに人気はありました。

しかし、後で分かるのですが『QUIET RIOT』のアルバムは日本でしか

リリースされていなかったのです。

そんな状況の中、翌年に2ndアルバムもリリースしますが状況は変わらず、

逆に『VAN HALEN』は飛ぶ鳥を落とす勢いで全米でもブレイクしていくわけです。

そんな時期に『BLACK SABBATH』を正式に脱退した“オジ-・オズボーン”は

新しいバンド結成の為にメンバー探しのオーディションを始め、

ランディはそのオーディションを受け見事にオジ-のバンドに加入することになるわけです。

アメリカではほぼ無名に近いランディを抜擢したと言う点で、

その才能をいち早くオジ-は見抜いていたことになります。

とは言え、オーディション時にオジ-はベロベロに酔っていてあまりよく覚えていなかったそうですが。

そして1980年に名盤『BLIZZARD OF OZZ:邦題(血塗られた英雄伝説)』で

デビューすることになるわけですが、メインであるオジ-よりもこのほぼ無名に近い若きギタリスト、

ランディのギターワークに我々は度肝を抜かれるわけです。

ドラマティックとしか形容出来ない叙情的なギターソロのオンパレード。

あまりにも物悲しいフレーズはマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアのそれとは

また違うものでした。

1981年の2ndアルバム『Diary of A Madman』でランディのギターには益々磨きはかかり、

“エディ・ヴァン・ヘイレン”に次ぐギターヒーローであることは間違いありませんでした。

しかし1982年3月19日に信じられない悲劇が起こるのです。

ツアー中にランディが乗ったセスナ機が墜落、帰らぬ人となってしまうのです。

当時大学生だった私は新学期が始まった時にクラスメイトからこの話を聞きました。

当時はインターネットなんてない時代ですから情報も入ってくるのは遅かったのです。

信じられませんでした。ほぼジャパン・ツアーも決まりかけていると言う時期だっただけに、

ランディが居なくなった『OZZY OSBOURNE』のコンサートに行く意味はあるのか!?と思いました。

そして7月にオジ-の初来日公演は決定、ランディが居ない『OZZY OSBOURNE』でしたが

コンサートに行くことにしました。

新たにギタリストに抜擢されたのはその後『NIGHT RANGER』を結成することになる

“ブラッド・ギルス”でした。

コンサートはオジ-の初来日と言うこともあって大いに盛り上がりました。

と言うわけで、今もなお“ランディ・ローズ”を愛するファンは多いです。

彼がギターを弾いている姿を見た日本人もあまり居ないでしょう。

加えてライヴ映像が残っていないことも後々悔やまれます。

見たかったバンド・ミュージシャンは何組か居ますが、

間違いなく生で見たかったミュージシャンの第一候補です。

生きていれば50歳になっている“ランディ・ローズ”、

白き炎のギタリストは今もなお私の心の中で眩いまでに輝いています。

今宵はMr.Crowleyを大音量で聴こう。。。。。。。



  

Posted by アナログ・キッド

RAINBOW

2007年03月18日22:19:20









今日は1982年の10月16日の『RAINBOW』の5度目の来日公演のお話の巻。

もはや自分の中の『RAINBOW』は“あの”『RAINBOW』ではなく、

新しいバンドとして聴いていました。

この来日公演ではそんな意識で見に行ってたのを覚えています。

ただ“リッチ-・ブラックモア”の姿さえ見れればいいと言う感覚でした。

覚えているのは『Straight Between The Eyes』のツアーで、

このアルバムのハイライト曲だった“Death Allery Driver”をプレイしなかったことが不満でした。

そんなわけでこれが自分にとって最後の『RAINBOW』のライヴとなりました。

しかし自分の『RAINBOW』は23年後の2005年にDVDと言う形で

その姿を見ることが出来るわけです。

Kill The King~!!!、生きてて良かった!   

Posted by アナログ・キッド

TYGERS OF PAN TANG

2007年03月17日22:44:45









今日は1982年の9月28日の『TYGERS OF PAN TANG』の初来日公演のお話の巻。

1980年代初頭と言えばNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)』の

ムーブメントが勃発していた時代で、『IRON MAIDEN』や『DEF LEPPARD』と言ったバンドが

デビューして活躍していた時代です。

そんな時代にデビューした『TYGERS OF PAN TANG』ですが、彼らが一躍有名になったのは

2ndアルバムから加入した“ジョン・サイクス”の存在に他ならないでしょう。

タイ・パン脱退後、『TIHN LIZZY』や『WHITESNAKE』に在籍したことがある

日本でも人気のギタリストです。

『TYGERS OF PAN TANG』時代から人気のあった“ジョン・サイクス”効果で

『IRON MAIDEN』や『DEF LEPPARD』と言ったバンドと引けを取らないくらいの人気がありました。

そんな異常なる人気は遂に『タイガース・オヴ・パンタンを来日させる嘆願運動』なる署名運動まで

起ってしまうのです。

そして遂に『TYGERS OF PAN TANG』は1982年に来日することになったのです。

だがしかし、そこにはもう“ジョン・サイクス”の姿はありませんでした。

でも日本のファンは『TYGERS OF PAN TANG』を見たかったのです。

“ジョン・サイクス”脱退後のアルバムは今までの路線とは違いかなりポップなサウンドに

なってしまいましたが、皮肉にもアルバムとしては1番のセールスを上げることになりました。

その急激にバンドは失速して行きました。

そんなわけ貴重な1度っきりの来日公演を見ることが出来ました。

ライヴ自体も良かったです。

確かにここに“ジョン・サイクス”が居たらもっと素晴らしいものになっていたのは

言うまでもありませんが。。。  

Posted by アナログ・キッド

SCORPIONS

2007年03月16日23:18:26









今日は1982年の9月24日の『SCORPIONS』の3度目の来日公演のお話の巻。

前回1979年の来日と、この1982年の来日とでは彼らを取り巻く状況は全く異なるものでした。

同年にリリースした『BLACKOUT』が全米チャートNo.10になる大ヒットとなるわけで、

それまでの彼らは本国ドイツや日本と言ったドメスティックな人気しかありませんでしたが、

この『BLACKOUT』でワールドワイドな人気を確立するわけです。

そんな『BLACKOUT』をひっさげての来日公演。それも初の京都公演でした。

コンサートの方は言うまでもなく素晴らしいものでした。

おそらく自分のような初期から『SCORPIONS』を追いつづけているファンからすると、

『SCORPIONS』のアルバムとしては1984年の『LOVE AT FIRST THING』くらいまでが

限界かもしれません。

次第にポップ化する『SCORPIONS』、“Wind of Change”のヒットで

バラードのバンドとしてのレッテルを貼られるなど、

ダークでメランコリックなバンドのイメージが薄れていくのは寂しかったです。

しかし2004年リリースしたアルバム『Unbreakable』は往年のSCORPIONS節が

垣間見れる素晴らしいアルバムでした。

まだまだ現役で頑張る蠍団、この1982年以来コンサートは行ってないので

今度来日する時は見てみたいです。  

Posted by アナログ・キッド

フラガール

2007年03月15日23:18:44









今までに異常にハマッた邦画があります。『私をスキーに連れてって』と『黄泉がえり』、

そして今日DVDを買って来た『フラガール』です。

本年度の日本アカデミー賞最優秀作品ほか5冠達成した名作です。

ロードショーは昨年9月で、残念ながらビバシティシネマではその時にはやってなかったですが、

今年2月になって2週間の特別上映をしました。

その時に見たのですが、ハマリました!本当に素晴らしい映画でした。

笑いあり涙あり感動あり、とりわけクライマックスでの蒼井優ちゃんのダンスは圧巻でした。

あまりにも良かったので当初買うつもりじゃなかったDVDを買ってしまったわけです。

それも特別映像満載の3枚組のメモリアルBOXを購入しました。

本編以外の2枚のDVDには4時間にも及ぶ映像が収録されており、

メイキング映像や練習風景や未公開シーンなど、加えてシナリオブックまで封入されています。

演技ではなかった蒼井優ちゃんの涙の裏側とかもこの特別映像を見ると分かります。

この特別映像を見て益々フラガールのファンになりました。

フラガール・ファンの方、もし本当にフラガールが好きなら

このメモリアルBOXの方を購入することをお勧めします。

フラガール、最高!!!  

Posted by アナログ・キッド

AC/DC

2007年03月14日21:54:30









今日は1982年の6月8日の『AC/DC』の2度目の来日公演のお話の巻。

日本では人気がなくて欧米では超ビッグなバンドと言うのはいくつかあります。

そんなバンドの1つがこのオーストラリア出身の『AC/DC』です。

この1982年の来日から3度目の来日に19年も要することになるとは

誰も想像出来なかったでしょう。

そんな2度目の来日公演は1981年にリリースした『FOR THOSE ABOUT TO ROCK

(WE SALUTE YOU)/邦題:悪魔の招待状』の初の全米NO.1ヒットアルバムを引っさげての

来日とあってかなり盛り上がりました。

運良く京都会館・最前列の“アンガス・ヤング”側に席だったので、

目の前で“アンガス・ヤング”の姿を見ることが出来ました。

おそらくこの時が日本での『AC/DC』の人気の絶頂期だったと思います。

1975年以来パワフルで剛直なロックを今なお演奏し続ける『AC/DC』、

“アンガス・ヤング”は今も昔もランドセル背負って熱いパフォーマンスを見せてくれています。  

Posted by アナログ・キッド

TOTO

2007年03月13日22:05:46









今日は1982年の5月13日の『TOTO』の2度目の来日公演のお話の巻。

まぁそれまでは完全にハードロック系のバンドのコンサートしか行ってなかったわけで、

この『TOTO』のコンサートに関しては今までとは客層がかなり違ったのを覚えています。

グラミー賞6部門制覇した名盤4thアルバム『聖なる剣』をリリースした直後のジャパン・ツアー

と言うことで日本は盛り上がっていました。

とにかく『TOTO』をいち早く認めた国はこの日本だったのですから。

そんなわけで、まだまだ細くてカッコ良かった“スティーヴ・ルカサ-”に、

まさか10年後に突然死んでしまうなんて夢にも思っていなかった“ジェフ・ポーかロ”の

姿が見れたことは良かったです。

『JOURNEY』同様、バンドの絶頂期をこの目で目撃出来たことを光栄に思います。  

Posted by アナログ・キッド

JOURNEY

2007年03月12日21:57:39









今日は1982年の4月11日の『JOURNEY』の4度目の来日公演のお話の巻。

このジャパン・ツアーはあの名盤『ESCAPE』のワールド・ツアーの最終公演地でもありました。

何とこのESCAPEツアーで『JOURNEY』は前年にもジャパン・ツアーを敢行しています。

アルバム『ESCAPE』は全米No.1を獲得し、このアルバムから数々のシングルヒットを

飛ばしています。

日産のエルグランドのCMで使われていた“Don''t Stop Believin''”や

映画『海猿』で使われていた“Open Arms”もこのアルバムに収録されています。

とにかく『JOURNEY』絶頂期のライヴを目にすることが出来たことはラッキーです。

そんなESCAPEツアーの模様を収めたライヴDVDがリリースされています。

1981年11月ヒューストンでのライヴで、このDVDを見ると当時のコンサートのことを

思い出して興奮します。

『JOURNEY』全盛期のライヴ、是非皆さんもご覧下さい。







〈訃報〉

『BOSTON』のリード・ボーカルだったブラッドデルプが、

9日ニューハンプシャー州の自宅で死去しました。

まだ55歳の若さでした。

今のところ検死の結果が出ていない為、死因は不明とされています。

  

Posted by アナログ・キッド

押尾コータロー

2007年03月11日23:59:17









今日は『押尾コータロー』の“Color of Life”ツアーの京都公演に行って来ました。

押尾コータローのツアーの京都公演は毎年京都会館ですが、第二ホールでした。

しかし今回は初の第一ホールと言うことで2,000人収容の第一ホールを埋めることが出来るのか

当初不安でしたが、2階席の最後列あたりに空席が見えたくらいで、

ほぼ満席の盛況振りでした。

正直言って恐れ入りました。

で、“Color of Life”ツアーは1月にNHK大阪ホールで見てるわけで、同じツアーを2度見るのは

“BE HAPPY”ツアー以来2度目です。

で、個人的な感想としては1月の大阪より今日の方が断然良かったです。

それは押尾コータローのプレイも含め、観客のノリも格段に熱かったです。

まぁ1,400人収容のNHK大阪ホールと2,000収容の京都会館第一ホールの人間の数の差だけ

とは思えません。今日のファンは熱かったです。

まぁツアーの関西での公演は今日が最後と言うのもあったかも知れません。

押尾コータローもインディーズ時代から頻繁に訪ねて来てる京都に思いも一入だったかも知れません。

とにかく、素晴らしかった押尾コータロー。

来年もまたどこかのホールで逢いましょう!  

Posted by アナログ・キッド