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SUPER ROCK ''84

2007年03月30日22:20:46





今日は1984年8月12日に行われた日本のロック史上初めての本格的なロック・フェスティバル、

スーパーロック’84のお話の巻。

今でこそ夏にはフジ・ロックやサマー・ソニック、

去年はウド-・ミュージック・フェスティバルやラウド・パークなど、

日本でもロック・フェスティバルは盛んですが、

当時の日本においてこのフェスティバルは歴史的な出来事でした。

それもメジャー級のバンドを複数1度に見れるなんてことは夢のような出来事でした。

あとこのフェスティバルの素晴らしかったところは名古屋、福岡、大阪、東京

(西武球場だったので厳密に言うと埼玉!?)と日本国内をサーキットしたことも評価に値します。

そう言うことでも今まであったロック・フェスティバルで1番画期的であったことは間違いないです。

このフェスに参戦したバンドはカナダの『ANVIL』、デビュー間もない初来日となる『BON JOVI』、

そして“ジョン・サイクス”をフィーチャーしていた『WHITESNAKE』、

全米で大ブレイクした『SCORPIONS』、そして後世に史上最悪のパフォーマンスの汚点を

作ってしまった『MICHAEL SCHENKER GROUP』と言うメンツでした。

因みに出演した5つのバンドのレコードは全て持っていました。

とにかく『MSG』以外は素晴らしいかったです。

ギタリストは1人になってしまいましたが前回の来日公演は散々だった『WHITESNAKE』も

素晴らしかったです。やはりベースの“二-ル・マーレィ”の復帰は大きかったです。

パンフレットの『MICHEAL SCHENKAER GROUP』の紹介のコメントには

「メンバー・チェンジごとにパワーアップしていくグループのため、新メンバーで最高の

パフォーマンスを提供してくれるだろう」と締めくくられています。正直言って笑ってしまいます。

そんなわけで日本をサーキットする大型のロック・フェスティバル、再び行われることを祈ります。  

Posted by アナログ・キッド

OZZY OSBOURNE

2007年03月29日22:10:40









今日は1984年6月28日の『OZZY OSBOURNE』の2度目の来日公演の巻。

実はこの当時東京に住んでいて、中野サンプラザから歩いて10分程のところに住んでいました。

そんな6月28日の中野サンプラザでの『OZZY OSBOURNE』の

コンサートに行くことが出来ました。

オジ-のバンドには“ジェイク・E・リー”がギタリストとして迎えられていました。

ジェイクは『RATT』や『ROUGH CUTT』に居たギタリストでした。

ルックスも良く、ギタースタイルも当時アメリカを席巻していたLAメタルのギタリスト的な

フラッシーなギタースタイルが魅力でした。

楽曲的にもダークな部分が薄くなりかなりアカ抜け、バンド自体若返った感じになりました。

今も“Bark At The Moon”はライヴでは欠かせない1曲となっています。

バカダモ~ン!

因みに引越しの際にどうやら半券を紛失したらしく、今回はパンフレットをご覧下さい。

  

Posted by アナログ・キッド

DEF LEPPARD

2007年03月28日23:18:49









今日は1984年1月25日の『DEF LEPPARD』の初来日公演のお話の巻。

『ALCATRAZZ』のコンサートの翌日、『DEF LEPPARD』のコンサートが待っていました。

1983年に名盤『PYROMANIA』をリリースしての初来日とあって、日本は盛り上がってました。

NWOBHMブームの中『IRON MAIDEN』との二大巨頭として君臨した『DEF LEPPARD』ですが、

デビュー当時から明らかにそのサウンドはアメリカを意識していました。

そんな彼らの目論見は見事に的中、アルバムは全米で好セールスをあげていきます。

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの若々しい彼らのパフォーマンスを見ることが出来ました。

そんなことよりこのコンサートを見たことは後々貴重な体験となるわけです。

まぁそんなことはこの時には想像もしてなかったのですが。

同年の末にドラマーの“リック・アレン”は交通事故により左腕を切断。

1991年にはギタリストの“スティ-ヴ・クラーク“がアルコール中毒症で他界。

健全(!?)な状態の『DEF LEPPARD』を見れたことは私の宝物になりました。

極端に低くさげたレスポールを弾くスティ-ヴの姿は“ジミー・ペイジ”を彷彿とさせていました。

現在の『DEF LEPPARD』は洗練過ぎてしまってる感があって私には刺激が足らず、

まだまだ荒らしい初期の時代の彼らがやはり好きです。

勿論アルバムも『PYROMANIA』が1番好きです。



  

Posted by アナログ・キッド

ALCATRAZZ

2007年03月27日21:50:56









今日は1984年1月24日の『ALCATRAZZ』初来日公演のお話の巻。

1983年末にデビューアルバムをリリースした元『RAINBOW』のヴォーカリスト

“グラハム・ボネット”率いる『ALCATRAZZ』ですが、

このアルバムにはとんでもないギタリストが存在していたのです。

そのギタリストとはスウェーデン出身の“イングヴェイ・マルムスティーン”です。

はっきり言って今までに聴いたこともないギター・スタイルでした。

“エディ・ヴァン・ヘイレン”のタッピング(当時はライトハンド奏法と呼んでました)も画期的でしたが、

イングヴェイはそのギタースタイルと指の速さに驚いたのです。

ヴァイオリンを弾くかの如き速さでギターを奏でるそのスタイルは今までにはなかったものでした。

超人的な速弾きとクラシカルなエッセンスをふんだんに取り入れたフレーズなど、全てが斬新でした。

ロック界に衝撃与え、デビュー間もなく『ALCATRAZZ』は来日することになります。

再びあの“グラハム・ボネット”の声が聞けることも嬉しかったですが、

それ以上に若干19歳の若き天才ギタリストの姿を一目見たかったのです。

コンサートの方はまだアルバム1枚しかリリースしていないバンドでしたから

『RAINBOW』の曲、そして『MICHAEL SCHENKER GROUP』の曲、グラハムのソロの曲

(西城秀樹がカバーした例の曲です)なども演奏しました。

まぁコンサートも始まって何曲か終わってすぐ分かったことは

「こいつは間違いなくリッチ-・ブラックモアのファンやな」と言うことです。

客席から野次にも似た声援で「リッチ-!」と言う声がかかってましたから。

そんなわけでイングヴぇイは確かに凄いギタリストではありました。

しかし、『ALCATRAZZ』と言うバンドとしてはまだ未知数でした。

現実問題、イングヴェイはすぐに脱退しバンドも迷走してしまうわけですが。

とにかく“イングヴェイ・マルムスティーン”は凄いギタリストでした。

後世に与えた影響も計り知れません。

間違いなく昔のイングヴェイは神懸り的でした。

それは音楽的にもギターのフレージングやライヴ・パファーマンスもです。

加えてルックスも昔も良かったですしね。

なんだかんだ言われている“イングヴェイ・マルムスティーン”ですが、それでも私は彼の味方です。

憎まれっ子世にはばかる、そんな言葉がぴったりのギタリストです。

それでも彼は偉大なるギタリストです。  

Posted by アナログ・キッド

ASIA

2007年03月26日22:36:22









今日は1983年の12月9日の『ASIA』の大阪城ホールでの初来日公演のお話の巻。

現在彦根では築城400年祭をやっていますが、1983年に大阪城築城400年記念に

建築されたのがこの大阪城ホールです。

ですから大阪城ホールが出来て24年程になるわけです。

そんなわけで生まれて初めての大阪城ホールでのコンサートが『ASIA』だったわけです。

超スーパー・グループとして、その名に恥じない素晴らしいアルバムをリリースしていた

『ASIA』でしたが、来日直前にヴォーカルの“ジョン・ウェットン”が脱退、

新たに加入したのは“グレッグ・レイク”でした。

まぁメンバー的には申し分のない人選でしたが、如何せんリハーサル不足は否めませんでした。

しかし、テクニシャン揃いですから各メンバーのソロ・タイムは楽しいものでした。

とりわけ“スティ-ヴ・ハウ”のアコギのソロ・タイムは素晴らしかったです。

『YES』の“Mood For A Day”は圧巻でした。

“ジェフリー・ダウンズ”のキーボード・ソロでは“ラジオスターの悲劇”をプレイして

大歓声があがってました。

今月『ASIA』は初めてオリジナル・ラインナップで来日公演を行いました。

残念ながらコンサートの方には行けませんでしたが、

このジャパン・ツアーはDVD化されるようなので今から楽しみです。





  

Posted by アナログ・キッド

LOUDNESS

2007年03月25日22:50:32









今日は1983年の11月10日の『LOUDNESS』の京都会館・第一ホール公演のお話の巻。

同年1月に見た第二ホールでの『BOW WOW』が第二ホールにも関わらず

半分くらいしか入ってなかった散々な結果に対して、

『LOUDNESS』は第一ホールをほぼ満席にしていました。

いくら『LOUDNESS』が関西のバンドとは言え、キャリアが上の『BOW WOW』の方が

集客力が低いと言うのはちょっと納得出来ない部分はありました。

まぁそれほど『LOUDNESS』の人気が急上昇していたことを立証していたことになります。

ワールド・ツアーと銘打っていますから、自力でアメリカ方面にサーキットしていたツアーの

ジャパン・ツアーだったと思われます。

この全米ツアーをきっかけに翌年にアトランティック・レコードと契約することになるわけです。

そんなわけで、飛ぶ鳥を落とす勢いを持っていた若々しい『LOUDNESS』の

パフォーマンスを見ることが出来きました。

今もなお現役で活動する『LOUDNESS』、

日本が誇るロック・バンドが成し得た金字塔を今もなお破るアーティストは居ない。。。。。。  

Posted by アナログ・キッド

BILLY SQUIER

2007年03月24日20:56:59









今日は1983年の5月9日の『BILLY SQUIER』の初t来日公演のお話の巻。

この『BILLY SQUIER』のコンサートは本当に良かったです。

まぁ“瓢箪から駒”と言うことわざがありますが、あまり期待せずに行った

この『BILLY SQUIER』のコンサートは思いの他良かったです。

俗に“1人・LED ZEPPELIN”と言われるビリーですが、

まさしくLED ZEPPWLINばりのグルーブ感とアメリカン・ロックならでは大陸的なサウンドと

適度なポップ感が見事に融合された素晴らしいコンサートでした。

2階席の1番前で見ていたのですが、立ちあがってノリノリだった我々に警備員が

「落ちないように気をつけて下さいね」と言ってきたくらいですから。

お陰で次の日には膝にしっかりアザが出来てました。

あまり日本では認知度は低いですがアメリカではビッグなアーティストです。

日本でもコアなファンを居ますので、再認識してもいいアーティストだと思います。  

Posted by アナログ・キッド

WHITESNAKE

2007年03月23日20:58:14









今日は1983年の2月16日の『WHITESNAKE』の3度目の来日公演のお話の巻。

1981年の2度目の圧倒的なパフォーマンスを体験しているだけに

『WHITESNAKE』に対する思いは大きかったです。

しかし、大幅なメンバーチェンジはマイナスでした。

『MICHEAL SCHNEKER GROUP』脱退した“コージー・パウエル”が加入すると言う

華やかな一面もありましたが、それは全くこのラインナップでは無意味でした。

“メル・ギャレー”にコリン・ホッジキンソン”がバンドを台無しにしていたと言えます。

バンドが不安定な中で作られたアルバム『SAINTS & SINNERS』はつまらないアルバムでした。

これが同じバンドなのかと思うようなパファーマンスにがっかりしたのを覚えています。

『WHITESNAKE』史上、最大の汚点と言っていいでしょう。

因みにミュージック・ライフの編集長、東郷かおる子の姿を見ました。  

Posted by アナログ・キッド

GARY MOORE

2007年03月22日23:29:03









今日は1983年の1月27日の『GARY MOORE』の初来日公演のお話の巻。

1981年の“マイケル・シェンカー””の初来日で異常なまでのマイケル人気に嫌気を差した私に

次なるギターヒーローになったのがこの“ゲイリー・ムーア”です。

古くは『SKID ROW』『コロシアムⅡ』で活動してましたが、やはりゲイりーの名を知らしめたのは

『THIN LIZZY』加入からで当時としてはかなりの速弾きと泣きのフレーズが魅力のギタリストでした。

そんなゲイリーですが1979年『THIN LIZZY』脱退から1981年の頃は悲運の連続でした。

『THIN LIZZY』を脱退後自分がリーダーを務める幻のバンド『G-FORCE』を結成。

1980年にデビューアルバムをリリース、

これからと言う時にメンバーとの意見の相違でバンドは空中分解、あえなく『G-FORCE』は解散。

その後レコード会社との契約問題で裁判沙汰となり、自由な活動が出来なくなってしまうのです。

『RAINBOW』を脱退した“コージー・パウエル”とのニューバンド結成も

そんな契約上の問題で頓挫します。

結局この時期の2年間、レコード会社に飼い殺しのような状態にさせられてしまうのです。

そして契約をクリアしたゲイリーはヴァージン・レコードと新たに契約、

1982年に心機一転、アルバム『Corridors of Power:邦題(大いなる野望)』をリリースします。

ゲイリーの作品の中で名盤の呼び声の高い素晴らしいアルバムでした。

そんなアルバムをリリースを引っさげてゲイリーは待望の初来日公演を行います。

来日メンバーはドラマーに元『DEEP PURPLE』の“イアン・ペイス”、

ベースに元『WHITESNAKE』の“二-ル・マーレイ”、

ヴォーカル&キーボードに元『URIAH HEEP』の“ジョン・スローマン”と言う布陣でした。

やっと来日した大物ギタリストに日本は盛り上がりました。

『G-FORCE』のナンバーも演奏、最後にソロで“Sunset”を演奏してコンサートは終了しました。

現在のゲイリーはブルースギタリストとして活動しており、

ロック色がなくなって物足りない感じはしますが、

今も堅実なギター・プレイと素晴らしいヴォーカルを披露しています。

  

Posted by アナログ・キッド

MICHAEL SCHENKER GROUP

2007年03月21日21:39:13









今日は1983年の1月17日の『MICHAEL SCHENKER GROUP』の2度目の

来日公演のお話の巻。

1981年の熱狂の初来日公演からこの来日までの『MSG』は波瀾に飛んでいました。

1982年にリリースしたアルバム『ASSAULT ATTACK』では元『RAINBOW』の

“グラハム・ボネット”が加入して、今までMSGの一番の弱点とされていたヴォーカルを

完全に克服した素晴らしいアルバムに仕上がっていました。

“コージー・パウエル”と言う最強ドラマーを失いはしましたが、

それ以上にグラハムの加入の方が得るものは大きかったです。

しかし、アルバムをリリースして最初のコンサートで突然グラハムはステージから下り、

そのまま脱退してしまいます。

そんな本当なら“グラハム・ボネット”をフィーチャーした来日公演が見れるはずだった

2度目の来日公演は“ゲイリー・バーデン”の復帰と言うことで敢行されるわけです。

とは言え、相変わらずゲイリー・バーデンのヴォーカルは良くなかったです。酷くなる一方でした。

もはや『RAINBOW』と同じで“マイケル・シェンカー”さえ見れれば言いと言う状態でした。

セット・リストも『ASSAULT ATTACK』からのナンバーは僅かに2曲だけ。

それも高音など全く歌えてない散々な始末。

まぁこのコンサートで“Looking For Love”が聴けたことだけが収穫だったでしょうか。

誰もが思っています、『MICHAEL SCHENKER GROUP』に強力なパーマネントな

ヴォーカリストが居れば、

もっとバンドは安定して素晴らしいパフォーマンスとキャリアを持ち得たはずだと。

  

Posted by アナログ・キッド